藩祖・伊達政宗公が奨励した味噌づくり。仙台城築城の際には「御塩噌蔵」と呼ばれる現在の味噌工場のような醸造設備を設け、当時は珍しい味噌の量産を行いました。
かつて味噌は、戦に赴く兵士たちの兵糧として、味噌玉にしたり、藁にしみこませて携帯していたといい、「強い国づくり」に欠かせないものだったからです。
そうした歴史的背景に支えられ、宮城県では昔から味噌づくりが盛んでした。米どころ、そして日本有数の大豆産地でもあることから、上質な味噌を作ることができる「地の利」もあったのです。
そんな宮城県に本社を構える「東松島長寿味噌」は、明治35年に石巻で産声をあげ、多くの人たちに愛され続けてきた「高砂長寿味噌」の伝統と味、そして名工の技を引き継いでいます。
美味しさの秘訣は、素材と熟練の職人による丁寧な仕込みにあります。
原材料である大豆は、地元宮城を中心とした国産のみを使用。米麹、大豆麹に使用する米と大豆も地元産です。麹を麹店で調達する味噌屋も多い中、東松島長寿味噌では麹はすべて自社製造しています。
東松島長寿味噌の工場内。麹室の中で、「麹」の声に耳を傾けている名工がいます。彼の名は、後藤秀敏。18歳で味噌づくりの世界に飛び込み、現在は後人の指導にもあたっている作り頭です。
「私がこの世界に入ったとき、師匠に『麹には“さま”をつけなさい』と言われました。この工場では、麹が一番偉い。なので、私も麹の機嫌を伺いながら、味噌づくりに取り組んでいます。」
長寿味噌は、いわゆる仙台味噌とは仕込み方が異なります。 「仙台味噌は、宮城県味噌醤油工業協同組合員が大豆、米麹、塩を使用した統一仕込みを行っています。長寿味噌は、仙台味噌の本流とは違った作りをしていて、大豆に米麹と塩それに大豆麹も合わせているんです。大豆麹のたんぱく、アミノ酸がうま味を加えてくれるんですよ。」
仙台味噌は、大豆10に対しての米麹の量が8割を上限としています。それに対し、長寿味噌は最も割合の少ない「田舎」で8。後藤がひとりで仕込む吟醸仕込み「媼」に至っては、大豆10に対して米麹の割合が10にもなるのです。
「媼味噌は私が木製品を使って作っている手づくり味噌で、麹も私が作っています。米麹が多いので、塩分は同じでも甘味を強く感じると思います。」
味噌づくりの肝となる麹ですが、メーカーによっては麹店から購入している場合も。
「仙台に限らず、歴史的に城下町の味噌醤油屋は麹屋から買っていることが多いんです。でも、うちは自前で麹を仕込んでいるんですよ。」
大豆麹は作るのが難しいことでも知られています。
「温度管理、湿度管理を間違えると、納豆になってしまうんです。大豆麹を入れれば味噌としては良くなるけれど、なかなか作るのが難しいし、麹屋さんはリスクを背負ってしまうので、やりたがらない。長寿味噌では、昭和の時代から大豆麹を入れるのが当たり前だったし、それがきちんと技として伝えられているんです。」
長寿醤油の特徴は、甘味とうま味。
「通常、甘味のある醤油は日本海側で好まれているのですが、石巻や亘理などでは甘みの強い醤油が作られています。これは、沿岸地域では新鮮な魚を生で食べてきた文化があるから。鮮魚を刺身で食べるのに、ピリッとした醤油では合わないので、甘味、うま味をうまくブレンドした醤油が好まれたといわれています。お醤油も、地域の食文化に合わせて変化してきたんですね。」
匠が手掛ける味噌、そして醤油。
これからも、名工・後藤のもと、東松島長寿味噌の工場から
美味しい味噌と醤油を作り続けてまいります。